定年までのカウントダウンのブログ

人生3倍生きて感じる事

続き

昨日書いた、人生の四季の続きを書きます。


私は49歳になるので、もう朱夏の季節が終わり、次の季節である秋に入ってきたと感じています。「白秋」という燃え盛っていた朱夏から、火が消えていくような気分になるという感じがしていました。


しかし、秋というのは「実りの秋」というように今まで育ててきたものの収穫の時期にも入ってきます・昨日も書いたように私は朱夏の時期を失敗の連続の時期でしたので、余り多くの収穫はできない状況です。


朱夏の時期を過ぎても、秋から育てるということを考えなければいけないと感じ始めました。何ができるのか?何を行動し、考えて白秋という季節を乗り越えていくのか、今真面目に考えています。


でなければ、冬の時期、玄冬を乗り越えては行けないのだから。

人生の四季

私はいつの頃からか「人生の四季」について考えるようになっていました。


春夏秋冬、人生にはこれに当てはまる時の流れがあるような気がします。


まずは春、「青春」という言葉が当てはまります。10代、20代の前半がこれに当たるのかなと思いますが、私の青春は「バスケットボール」でした。コートの中を走り回り、プレーをするだけで気持ちが良かった。それこそ逆転のシュートなんて決めようものなら、大きなガッツポーズまでしていました。


初恋や好きな女性ができるのもこの季節に当たるのかな?私は、関西弁でいうところの「ゴンタ」な性格でしたので、まじめな女の子が好きになる対象でした。いつの間にか恋している。そんな季節が「青春」と呼ぶ春のような気がします。


そして季節は移り、夏になります。燃えるような情熱や行動力があり、上り調子になっていく季節「朱夏」という人生の中で最も充実した季節になります。


結婚や出産、昇進や仕事が面白くてしかたがない気力に満ち溢れた季節になります。


私自身は、この季節を上手に過ごすことが出来ませんでした。少し後悔があります。もっと柔軟な考え方を持っていればよかったとか、自分に厳しくしていたので、それを人にも求める傾向があったように思います。この季節での失敗は、本当に人生を左右するのだと感じています。


2度の離婚もこの時期に当たるような気がします。極端な性格の私には、「きちんと生活するのが男の魅力」という考え方を元嫁さんに押し付けていたのかなぁ。


まだまだ。季節は続きますが、それは次回に

思ったこと

最近、感じることは日本全体が緩くなり、締まりがなくなってきたと思います。


大阪の容疑者が警察署内から逃亡し、2時間近く気づかなかったり、何たら協会の会長が自分の私物のように協会を扱ったり、銀行員が顧客の金に手を付けたり、企業の製品の検査が改竄されていたり。


議員も不倫、重婚、忖度と何でもありで、選挙の時だけ「お願いします」と頭を下げ。それ以外は、前記のような仕事もしていないような報道が目に付く。


飲み会の写真をSNSにあげる暇があるなら、災害が起こりそうな時ぐらい働けよと言いたくなる。


政治家や警察、銀行、大企業は一人一人が何もしなくても給料が毎月振り込まれる(それも結構な金額で)そんな人がどんどん増えていった結果ではないのかと考える。個人が頑張らなくてもいいという風潮が日本全体に蔓延しており、個人事業主や、本当に一生懸命働いてる人は、少なくなっているのではないでしょうか?