定年までのカウントダウンのブログ

人生3倍生きて感じる事

身体障害者手帳

先週、市役所に身体障害者手帳の申請に行きました。


身体障害者手帳の申請をしてから、何だか何もやる気が起きません。ここ数年、いろんな不幸が私自身を襲ってきました。心や身体、人生に関すること。


うつ病になってから、人生の歯車が狂い始めたように思います。仕事でのストレスが原因なのですが、労基署は労災を認めてくれませんでした。弁護士には裁判したら勝つだろうが、会社は辞めなくてはいけないと言われ、諦めました。でも、心と身体は、諦めきれなかったみたいです。


もう、5年ぐらい睡眠導入剤なしでは眠れません。睡眠も浅く、よく眠れたという気分になったことがありません。


会社に行くという時間になると、心が不安定になり、涙が止まらなくなります。そんな中、通勤中に災害にあい、後遺症が残り、身体障害者手帳の申請までしなくてはいけなくなりました。


とうとう、自分の力で生きていくこともできなくなって、行政の力を借りなくてはいけなくなりました。そういう気分のせいか、何をするのも億劫です。


こんな気分もいつか晴れる時が来るんでしょうか?

最初の失敗

人生には多くの失敗があると思います。


私の最初の失敗は高校受験でした。正確には進学した高校が失敗の始まりだったのかもしれません。中学3年の時、私は勉強なんて全然していませんでした。というよりも、勉強の仕方が分かりませんでした。朝、教室に行くとみんな机に向かってプリントをしていたのですが、私は教室の後ろでサッカーをして遊んでいました。


私の住む地域では、公立高校に行く子は頭が良い子という意識がみんなの中にありました。学年の真ん中よりも上に行くと同じ市内の普通科の高校に行ける学力という認識でした。私は、真ん中よりも上にいたので、「高校受験ぐらい楽勝」って思っていました。


中学3年間、学級委員長やいろんな委員会の委員長をし、クラブ活動も真剣に取り組んでいたので、内申書もそこそこぐらいだと思っていたのが突然、頭を殴られたかのような衝撃的な電話がかかってきました。忘れもしません。中3のクリスマスイブの夜に担任から電話で私の親に「○○君の内申書は書けません」と電話があったのです。それは、普段から勉強をしていないという理由でした。


私の中には、成績がそこそこだから、目の色を変えて勉強する必要がないし、いたずらはよくしていましたが、決して不良でもなく、まじめなほうだったと思います。がしかし、担任の先生は、私のことをよく思っていなかったようです。悪い意味で目立ちすぎたのかもしれません。


内申書書かない問題は大きくなり、他の先生や教育委員会まで話が行き大事になりました。3年の担任と他の先生のケンカもあったようです。親も毎日学校に来ていました。いろんな人のおかげで条件付きで内申書を書いてくれるということでしたが、その条件は「他の地域の高校を受験する」ということでした。普通科の高校に行って、大学に行って考えていたのですが、それが崩れ去りました。


成績から受験校を探したのですが、工業高校なら内申書を書くという条件付きで受験したのです。工業高校の受験倍率のほうが地域の普通科の倍率よりも高く担任からは「あなたは、絶対に通らない」と言われていましたが、合格しました。


まず、工業高校に進んだことが私の人生の最初の失敗でした。なぜ失敗だったのかは、また明日以降に書きたいと思います。

一番打ち込んだもの

私は、中学入学して人生で一番打ち込むものと出会った。


バスケットボールです。スラムダンクが流行ったが、その何年も前にバスケにはまってしまった。中学1年生の夏休みまでは、そんなに好きでもなかった。ただ、練習がつまらないと思っていたが、幼なじみで今でも付き合いのある悪友が、毎日家まで誘いにしていた。誘いに来られると行くしかなかった。


今思えば、非常に厳しい練習で、昼の12時から夕方6時までほとんど走って、声出して、水も飲めずに練習していた。女子部と一緒に練習をしていたため、毎日のように、具合が悪くなって倒れる女子がいた。


1年生の時は、ひたすら走ることが練習でした。でも先輩たちがいるので、休憩できる時間も長かったのですが、2年生になると自分たちがメインで練習するので、きつかった。オマハ。熱中症対策で水分補給が必要と言われますが、私たちの時代は「水を飲んだら体力が落ちる」と言われ、ほとんど水が飲めず、夏休みの毎日6時間、必死に練習した。


強くない中学のレギュラーでもなかったが、バスケのことが頭の中から離れなくなりました。今でも思うのは、あの練習があったから、バスケが好きになったんだろうと思います。


練習がきつく、中学でバスケは辞めようと思っていましたが、その後23年間もバスケを続けていました。私の人生の半分の時間をバスケットに費やしていました。本当に青春のすべてでした。楽しいことも、苦しい、しんどいことも、それを乗り越える力や仲間も全て、バスケットに教えてもらった気がします。


この年齢になって、こんな身体になって、バスケットができていたころを思い出します。バスケットを続けていたら、うつ病になんてならなかったのに…


でも時間の流れが、それを許してくれなかったんでしょうね。